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子育てと仕事と好きなこと

「話しても聞いてもらえない😢」という思い込み


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先日の記事で「自分を深く内観すること」について書きました。

crear.hatenablog.jp

 

要約すると、イライラやザワザワの根源には、必ず自分の過去の経験から、「もうこれ以上、傷つきたくない」「辛い思いをしたくない」という思考が隠れているという内容です。

 

今日は私自身が、ほんのつい最近まで無意識状態で自分の中に抱えてきた「話しても聞いてもらえない」という思い込みについて書いてみたいと思います。この思い込みは、私が小学生時代に経験した、ある出来事が原因となっていました。

 

遡ること私が小2の時、クラスで靴隠しが頻発し、問題になった時期がありました。ホームルームの時間、先生がクラス全員に顔を机にうつぶせるように言い、目を隠した状態にして「靴を隠した人は、正直に手を上げなさい」と犯人捜しが始まりました。

 

しかし、私はこの時に何故か「靴を隠していない人は手を上げなさい」と聞き間違ってしまい、正々堂々と手を上げたのでした😱低学年あるある?の早とちりです。

そして、その放課後、学校から帰ろうと門を出た所で、クラスの活発な女子二人組に呼び止められ、「靴隠ししたんでしょ?先生が呼んでいるよ」と彼女たちに教室まで連れ戻されたのでした。

この時点で、私は自分が先生の話を聞き間違っていたことを理解していなかったので、なぜ自分が犯人になっているのか、なぜ彼女たちに先生の所へ連れていかれるのかも分からずの状態でした。

教室に戻ると、先生とその二人の女子に「正直に話しなさい」と言われ、「隠していないから手を上げた」と伝えても、「そんな訳ない」「今から嘘をついても仕方がない」と信じてもらえず、誰の靴を隠したのか言いなさいと問われ続けたのでした。

結局、靴など隠していないのに、そもそも誰の靴が隠されたのかも知らずだったのですが、とにかく誰かの名前を言わなければならないと思ったので、適当に友達の男の子の名前を言いました。刑事に無理やり自白を強要される無実の人状態です。

 

その後、母親が学校に呼び出され、母には無言のまま理由を聞かれることもなく、そのまま連れて帰られたと記憶しています。そしてそのまま、母にさえ聞き間違ってしまったのだということを伝えることはできませんでした。

翌日、黒板の前に立たされ、クラス全員の前で「私は○○君の靴を隠しました。ごめんなさい。」と謝ることになりました。当然、私に突然名指しされた男の子は、とても困惑している表情をしてました。なんせ、彼の靴は隠されていなかったのですから。この意味のない謝罪について、担任の先生の意図は今でも分かりません。

 

結局ここで、私は「話しても聞いてもらえない」という自分にとっては強烈な体験をしました。犯人にされ、とても傷ついていました。今考えると「なんで?」と思うことも多々ありますし、自分ももっとこうすれば良かったとも思いますが、いかんせん当時は小学2年生。結果犯人になったまま大人になりました。

そして今度は自分の息子が小学生になり、息子の学年でも靴隠しが頻発することになるのですが、当時の私は無自覚だったので、靴隠しというキーワードにだけ反応し、相当にザワザワする日々を送っていました。しかも私と同じで、当時息子も小学2年生でした。

例えば、子育てなどで何か悩みがあっても、「話しても聞いてもらえない」という思い込みがあるので、ずっと一人で抱え込むことが続きました。子ども達にも、何故こんなに自分がイライラしているのか苦しいのか分からず、毎日怒ってばかりいました。

 

子ども達も、毎日怒っているお母さんの話を聞くことなどもなく、そして私は「やっぱり話しても聞いてもらえない」という思い込みを無意識に強化していくスパイラルにはまっていました。

同時に靴隠しの時のエピソードが、自分の両親への怒りになっていて、事実を聞くこともなく、寄り添ってくれるわけでもなく、親としてあり得ない、私は絶対にそんな子育てはしないと、怒りに巻かれ続けていました。

 

でも、時間をかけて何度も何度もザワザワと向き合い続けた結果、小2の靴隠し事件にたどり着いたのです。「話しても聞いてもらえない」と思っていた幼き私の気持ちは、もうこれ以上傷つかないですむように、私自身を守り続けてきた「思考」であることに気付いたのです。

この事実に気付いた瞬間、こんなにも傷ついていたのかと、自分でもビックリするぐらい涙が止まらなくなりました。あまりにも、何度も何度も涙がでてくるので、泣くときはお風呂でこっそり泣くようにしていました。

でも、それからです。例えば、夫と子育て方針が違った時に、今までは「どうせ話しても意味無い」と決めつけ話さずにいた自分の考えをしっかり伝えることができるようになっていました。

「話しても聞いてもらえない」という思考が、少しずつ「話したら、ちゃんと聞いてもらえる」に変化していきました。

 

完全に乗り越えるにはもう少し時間がかかるのか、今でも時々「話しても聞いてもらえない」という思考に巻かれることはありますが、ちゃんと「話したら聞いてもらえる」に戻ってくることができるので、過去の苦しさとは比べ物になりません。

 

苦しいぐらいのイライラやザワザワには、必ず自分がこれ以上傷つかないように守るための思考が隠れています。内観自体が時として、とても辛いということもありますし、他の誰かに代わりにやってもらうこともできませんが、これを乗り越えると、とても気持ちがラクになります。

 

もし、同じ悩みを抱えて苦しんでいる方がいらっしゃれば、私の経験から学んだことが、少しでも役に立てれば嬉しいです🥰どうか、子育てに悩むママの1日が少しでも心地よくなりますように🤗

 

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